まねっ子。

友人のダイアリーに触発されて今日はじめてダイアリーなるものを登録してしまった。
単なる「まねし」である。
わたしは昔から「まねし」だ。
さいころはもとより、大きくなってからも人のしゃべり方や仕草、
知らない間にけっこう「まね」してしまう。
でもこの「まね」が役立つことが実はすぐ身近にある。
それは言葉の習得だ。
いまここで外人として暮らしているわたしは言葉も思うように操れず
歯がゆい思いをすることが多々ある。
言葉を覚えていく第一過程は「まね」である。
それは今ひとつひとつ日本語を覚えつつある我が息子を見ても一目瞭然だ。
彼の言葉はおもしろい。
最近は親のしゃべる言葉をよく聞いていてよく理解している。
言葉だけではなく、親の仕草までまねする息子。
人の少ないところではのびのびと自分らしく振舞えるのに
人が多くなると小さくなってしまうところまでそっくりだ。
これからずっとこの小さな鏡に自分の姿を映されていくのだと思うと
ちょっぴり恐ろしい。

ところで日記だと言うのになんでこんなにかたいの?
明日からはもっと軽〜く流そっと。